時宗

 一遍 1239〜1289

 一遍(いっぺん)の教えとは「ただ一心不乱に念仏(南無阿弥陀仏)すればよい」 善人も悪人も、ひたすら「南無阿弥陀仏」を唱えさえすれば往生できると説いた。

経典 阿弥陀経(あみだきょう)
本尊 「南無阿弥陀仏」の名号
総本山 清浄光寺(しょうじょうこうじ)(神奈川県藤沢市)       
系列寺院 国宝「一遍聖絵」所有の歓紀寺(京都)
 

◆鎌倉末期に一遍がひらいた浄土教の1宗派。遊行(ゆぎょう) 宗、臨命終時宗ともいう。一遍は、はじめ浄土宗西山(せいざん)派の聖達(しょうたつ)に師事したが、熊野権現の神託をうけ、念仏を書いた紙の札をあう人ごとにさずける賦算(ふさん)と、念仏をとなえながらおどる踊念仏を中心として布教をおこなった。やがて一遍を聖とあおぐ信者集団が形成され、これを時衆といい、江戸時代には宗派を時宗とよぶようになった。

時宗とは「阿弥陀(あみだ)経」の中の「臨命終時(りんみょうしゅうじ:命おわる時にのぞんで)」にちなんだ宗名とされ、一刻一刻を臨終の時と思って「南無阿弥陀仏」をとなえる時宗の教えをしめしている。時宗は、遊行上人とよばれる師に絶対服従することを要求した。時衆は師から阿弥陀仏の号をあたえられて往生が保証され、「時衆過去帳」に名前が記載された。


◆一遍の死後、弟子の真教が師をついで教団を組織した。一遍は生涯、遊行生活をおくったが、真教は晩年、相模(さがみ)に当麻(たいま)道場無量光寺をたててそこに定住した。真教以降、師の地位をつぐものを代々「他阿弥陀仏」とよぶようになったが、京都では一遍の直弟子たちが独自に一派をたてて布教した。


◆第3代智得が第4代呑海(どんかい)に師の地位をゆずったのち、呑海と智得の弟子智光とがあらそった。智光は当麻道場にすんで当麻派をおこし、呑海は藤沢に清浄光(しょうじょうこう)寺をたてて遊行派を形成した。以後両派ならびたつ形となったが、江戸時代には遊行派が優勢となり清浄光寺が総本山となった。時宗は、一時浄土教の代表的勢力となったが、蓮如が浄土真宗教団を復興するとともに急速にその勢力をうしなった。